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    WEB青レンズ 

                                             後藤五郎 

 

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2007. 8.11
夏だ!アストロ・ノウツだ!ビーチ・ボーイズだ!
 八月に入って夏らしい暑さ厳しい日が続いている。
お盆とあって帰省ラッシュだ。海外へ避暑に出かける人も大勢いる。
随分と留守をしていたのを反省しております。久しぶりのWEB青レンズだ。
冊子版は最近39号を発行した。
 アストロノウツのこの盤はB面もなかなかいいんだよ。
夏だとこの「太陽の彼方に」はよくかかったものだが覚えている人がどのくらいいるかなあ。
彼らのヒット曲と言えばこの曲だけだけれど。
 ビーチ・ボーイズは「ファン・ファン・ファン」「アイ・ゲット・アラウンド」「サーフィン・U.S.A.」
などなど必ずかかっていた60年代。ビートルズと人気を二分した夏もあったほど人気があったなあ。
 今は海辺へ行くとどんな曲がかかっているのだろうか。
まさかベンチャーズでもあるまいし。
想像がつかないし人混みの浜なんぞ行く気にもならない。


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2007. 5.18
「ワシントン広場の夜はふけて」を聴いてみよう
 
久しぶりの登場だ。冊子版「青レンズ」にかまけていたので一ヶ月以上もこちらを疎かにしてしまった。
相変わらず四月からこっち、仕事もせず無職のままである。

 高校一年の頃というと陸上部へ入って幅跳びとかランニングに耽っていた。
夕刻陽がそろそろ落ちようという頃、グランドでランニングを何周かしていると校舎から
「ワシントン広場の夜はふけて」が聞こえてきた。いい曲だなあと思った。
軽音楽部のエレキ演奏だった。その頃毎日必ずこの曲が演奏されていた。
調べてみると六三年発売とある。大ヒットした曲である。
それが縁でと言うことではないがその後陸上部を辞めて俺も軽音楽部へ入った。

 学園祭の時に先輩の演奏を見てドラムが格好いいと思いドラムをやることにした。
エレキ・ブームであり、その中心はヴェンチャーズであった。
「急がば廻れ」Walk Don't Runが爆発的なヒットを飛ばしていた。
このシングルを買ったのは六四年一一月一日という日付がゴム印で打たれている。
まずなんと言っても最初に練習をしたのはこのヴェンチャーズの曲であった。
「ワシントン広場の夜はふけて」ではなかった。
夕刻のランニングで耳にしたそのヴィレッジ・ストンパーズの曲ではなかった。
入部してから一度もその曲を聴いたという憶えがない。ヴェンチャーズ一辺倒なのだった。

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2007. 4. 6
  ジョニー・ソマーズとドナヒューを聴いてみよう
 われわれの年代の者にねえ、初めて買ったレコードはなに?≠ニ訊いてみると答え は
トロイ・ドナヒューの『恋のパーム・スプリングス』だったなあ≠ニ言うのがお決 まりなのだ。
まだ持ってる?≠ニ重ねて訊いてみるとほとんどの者はもうどこかへ行 っちゃったなあ
というのがこれもお決まりの答えだった。
俺自身も初めて買ったレコ ード≠ヘドナヒューと答えていたのだけれど、
今回家の中で見つかったシングル盤の中 からドナヒューを出しジャケットの裏を見ると、
ゴム印で S.39.1.23 と捺されており  No,3 となっている。No,2 はジョニー・ソマーズ
「日本語盤 すてきなメモリー/ビー ・マイ・ラブ」でドナヒューと一緒の日に買っている。
定価は330円だ。で、肝心の 一番最初に買ったシングル盤はなんだろうと探しているのだけど不思議や不思議、
見つ からないのだ。おかしいなあ、間違いなくなければいけないはずなのにこのていたらく。


                 



 あの時代、きれいな日本語で歌っているソマーズを俺は尊敬する。そうしてドナヒューの方だが、
彼は映画俳優だ、そううまいとは言えない歌だ。
四枚目のシングルはこの二枚を購入した翌日の二四日に買っている。
ザ・ヴェルヴェッツの「愛しのラナ/ラフ」である。これはかなりヒットをした曲だ。
俺はこのA面もB面も、どちらも大好きで歌詞を見ながら覚えようと何度も何度もかけては歌ったものだ。
その頃、家にはステレオ装置なんてものはなく、兄貴が買ったのだろう、安っぽいレコードプレイヤーを
ラジオにつないで聴いていたものだ。
それでもそのサウンドの中に頭ごと突っ込んで耳の底へと曲を流し込んでいたのだ。
それは素晴らしい体験だった。
サウンドそのものと身体が一体化していた、俺だけの時間だった。勉強なんてそっちのけだった。 

                        
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2007. 3.23
橋クンを聴いてみよう



 われわれ四八年生まれの子年の輩は丁度中学生のときに橋クンから始まって
舟木一夫、西郷輝彦がデビューして活躍していた時代である。
橋幸夫は「潮来笠」をひっさげて登場したが三人の中では最も歌の上手い歌手だと言われていたし
聴く方もそう思っていた。この「お嬢吉三/関の弥太っぺ」は橋クンの何枚目のシングルなのか知らないが、
「お嬢吉三」はその節回しがなかなか歌いづらいのでまたそこがいい感じの歌なのだ。
橋クンは中野の生まれで早稲田通りに面して「藤越」という呉服屋が実家だった。
そこに近いこともあって自転車で行っては道の反対側から店の中を覗いたものだが、
勿論当人がそこにいるなんてことはなくてお母さんらしい女性が店員さんらと
歓談している姿しか見ることが出来なかった。

 先年、十枚組のCD全集「懐かしの青春賛歌」を手に入れたのだが、
当時ヘタッピだと思っていた西郷輝彦が実はどうしてどうして上手いんで驚いたものだが、
西郷のはこの「涙をありがとう/君はピンクのカーネーション」しか持っていない。
このシングルは日活映画の主題歌で兄貴役が田中邦衛という設定の映画を見たあとで
買ったのだろうと思う。
西郷のデビューシングルは「君だけを」なのだがこれもまたいま聴くとなかなか上手いのだ。
 あの頃は三人ともテレビに出てくる度に頬がこけて痛々しいほどの忙しさだったようだ。
それと紙テープ。
会場から歌っている歌手に向かって構わずに紙テープが飛んできて顔に当たったりしたものだが、
あれはいつの間にかなくなってしまったな。
あれはロカビリー時代から始まったのだろうか。
それともそれ以前からあったものなのだろうか。



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2007. 3.12
尾藤君のデビュー盤を聴いてみよう  



 ご存知、尾藤イサオである。この「匕首マッキー/審判のテーマ」は彼の
デビュー・シングルのはずである。
試しにWebで彼の名前を入れたらなんとホームページがあるのでビックリしたが、
そこに「1963年『マックザナイフ』で東芝レコードからデビュー」とあった。
間違いはない、このレコードが彼の初シングルだ。尾藤君、一八歳である。
どうしても尾藤イサオというとわれわれは尾藤君と「くん」づけをしてしまう。

 一度だけ上河邉らバンド仲間と池袋の「ドラム」というジャズ喫茶へ
「ジャッキー・吉川とブルーコメッツ」を聴きに行ったときに尾藤君がブルコメをバックに歌っていたので、
われわれは尾藤イサオを呼ぶときに親しく尾藤君と言っていたのだ。
彼の最大のヒット曲はアニマルズがヒットさせた「悲しき願い」である。
いまでもテレビで「懐かしのグループ・サウンド」などと言う番組で尾藤君が出てくると
当たり前にこの曲を彼は歌うのだ。

 実はこのシングル盤は俺が買って手に入れたものではない。
板橋は滝野川にあった「らら」という喫茶店を経営していた赤崎紘子さんが、
俺はこの店で仕事をさせてもらって助かっていた、ついに閉店と言うときに紘子さんからジュークボックスの
中のシングル盤全部をごっそり頂いたときに、その中に入っていたものを自分のものにしたという経緯がある。
その他にも随分の数があったがそれらは上河邉の許へと行った。

 このシングルの写真を見るといかにもあの頃のロカビリー歌手という感じである。
日劇で大盛況であったロカビリー・フェスティバルにもブルコメをバックにして出演したはずである。
随分前から俳優としても活躍している尾藤君だが、これからもテレビの音楽番組に出た折は
是非見て聴いて欲しいと思う。歌うのは「悲しき願い」であろうとも。
 
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2007. 3. 3
「ハプニングス・フォー」を聴いてみよう
 高校は卒業していない。一八歳の誕生日を迎えたときは本来なら学校の夏休みだったが
俺は学芸大学駅から歩いて数分の所にあったドライブ・インでバーテンダーの修業に就いていた。
遅番だったから終業すると駅まで急ぎ渋谷でちょうど零時頃になる。
昼間はスパイダーズのかまやつひろしの親父のティーブが校長のジャズ学校でドラムを学んでいた。
高校は一学期の終わり頃退学した。一年もドラムを学べばプロになれると本気で考えていた。
本多俊夫にちょっと似た感じのチーフ・バーテンダーが俺を可愛がってくれた。
なんでも教えてあげるからな、と。だから一生懸命仕事を早く覚えようとがんばったものだ。
ドラムの練習も懸命にやっていた。
深夜遅く帰宅する俺を怪しんだNHKに勤めていた兄貴が何をやってるんだと言って
若い者を探しているところがあるからそこへ行ってみるかとある日言われた。
それが帝国劇場で働く道だった。
NHKの効果団と言うところで仕事をしていた兄貴の先輩に当たる三人の人たちが
帝劇のミキサー室で仕事をすることになり、若く頭の柔らかい者を探していたのだ。
 開場を挟んで半年ほどは忙しくて休みも取れなかったがそこは若さ一杯の年頃だったからなんともなかった。
毎日が楽しくてならなかった。劇場の仕事にも慣れ客を案内する案内嬢たちとも親しくなった。
あれはいつの頃だろう、よく覚えてはいないのだが夜の部しかない日のことだったと思うが案内嬢から
「ゴッちゃん、ゴッちゃん」と呼ばれて階下の、ミキサー室は五階にあった、劇場のロビーへ行ってみたら
三、四人のいつもの連中が床に直に座ってポータブルのレコードプレイヤーで何か音楽を聴いていた。
それが「ハプニングス・フォー」の一枚目のシングル盤「あなたが欲しい/何故?」だった。
そのテクニックにまずはビックリした。その頃の日本のグループ・サウンドのバンドの中で
ピカ一ではないかと思った。

   


そのジャケットはご覧の通り思わずギョッとしたものすごいものでこれは横尾忠則のデザインなのだ。
解説はいまは亡き福田一郎だ。
大阪で活動していたらしいこのバンドのメンバーを見ると交番に貼ってあってもおかしくないような
面構えの男たちばかりなのが面白い。
裏ジャケットの四人を見るとなんだ?これは学ランじゃないのかなあと思うし。
だが針を落としてみるとすごいサウンドで聴く者を圧倒する。

  


 彼らのシングル盤の第二弾は「君の瞳をみつめて/あなたの側で」、
第三弾が「アリゲーター・ブーガルー/すてきなブーガルー」だ。これまた素晴らしいサウンドで
「君の瞳をみつめて」などは特にすごい。
ベースの音を大きく響かせてそれに乗ってヴォーカルが歌っていると言っていい感じの出来上がり。
この三枚の入れたLPはついに発売されなかった。
最近、彼らのCDを手に入れたがこれらの曲は入っているもののサウンドが全く違ってがっかりした。
残念である。
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2007. 2.18
     友人に編曲家、上河邉修(かみこうべ・おさむ)という男がいる。
    現在は作曲家でピアニストの加古隆の音楽の編曲を彼はやっている。
    上河邉は最初渡辺貞夫がアメリカより帰国しヤマハが協力して音楽学校を作り、
    その校長にナベサダがなったがその授業を上河邉は受けた。ホヤホヤのアメリカのジャズ理論である。
    と同時にもともとベースを弾く彼は原田政長にベースを習った。
    そうして貞夫さんの授業が終了すると今度は原田が亡くなったため、荒川康夫にベースを習った。
    貞夫さんの理論のあとはピアニストで作曲家であった菅野光亮の弟子になり松竹映画「砂の器」で
    菅野さんの曲の編曲を彼はやった。
    そのあと菅野さんが亡くなり、酒の飲み過ぎだ、上河邉は加古隆の編曲をやるようになったというわけである。
     メーザーへ入学して勉強すべきだと言ったのはこの上河邉であった。
    理論はわからないことだらけで困ったが、上河邉が懇切丁寧にその補助をしてくれているので助かっている。
    電話で質問したり、学校へ行く前の時間に彼に直接会って教えてもらったり、先日は彼の住む部屋へ押しかけて
    色々教えてもらった。ありがたい友人である。
    そんなありがたい環境にありながらなかなか理論が頭に入らない。
    年の所為と言えば言えるがまだまだ努力が足りないのは確かだ。
    ピアノの方はまだまだ熱心に練習に取り組んでいないというのが実情だ。どうしてもサボってしまう。
    そうして授業に出てもまだ上がり気味でメロメロのまま三〇分が経ってしまう。
     歳を考えろと女房は言う。その通りなのだが、その通りの気持ちになかなかなれないでいる。
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2007. 2.12
  二月もはや半ばとなりときの速さに驚くが年を経るに従ってそのスピードは増すばかりだ。
 名古屋の病院へ入院していた伊藤昭さんがこの九日亡くなった。
 享年七十一。年男だった。この訃報を知ってからと言うもの、何も手に着かないで困っている。
 昭さんとはもう三十年以上の付き合いでわれわれのうちで最も長生きをする人とばかり思っていた。
 それが前立腺癌から骨に転移して亡くなった。自らを画家でありヨガ行者と称しておられた。
 ヨガをあんなに一生懸命やっておられたのにわからないものだ。
 こちらは酒は飲まないものの煙草は吸うし、運動らしい運動もしていない。
 腹の出っ張りは増すばかりだ。
 先日健康診断を受診したが、その折り肩に近い辺りに「脂肪腫がありますね、
 皮膚科へ行って切ってもらうんですな」と医者に言われた。何故そんなものが出来るんだろう。わからない。
  
  今月から仕事の量が減った。週二日出勤と言うことになってしまった。
 首が近いのだろうか。そんなわけで実入りも少なくなった。
 その代わり音楽の学習の時間が増えたので自分ひとり喜んでいる。

 伊藤さん、色々ありがとうございました。どうぞ安らかに眠ってください。合掌。
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2007. 1.27
     本当に暖冬だ。今までになかったほどの天候がつづいている。
    東京は二月が年に一番寒い月だがどうなるのだろう。
    先月まで請求書の中にリアル・エンタテイメントとか言うところが一四〇〇円ほど引き落としをしていた。
    毎月そうだったが暦に指摘されてなんだろうと思っていたがもしかしたらリアル・プレイヤーの
    会社だろうかと思ってパソコンのプログラムを見てみると果たしてリアルプレイヤーが
    インストールされていた。
    全く使っていないのだし買った覚えもないなあと思っていた。
    幸い請求書に電話番号が記されていたので電話をしたがなかなか繋がらない。
    何度電話をしても呼び出すだけだった。それでまたにしようと思って止めにした。
    午後になって暦が電話が繋がったというので電話を替わった。若い男が出てきたので事情を話すと
    すぐ解約できることがわかったので助かった。
    あとでマイドキュメントの中に「リアルプレイヤー申し込み記録」というものがあるのがわかった。
    開けてみると昨年の五月に申し込みをして買っていることが記されてある。
    なんということもない、自分で忘れていただけのことだった。
    でも毎月使用料(?)を取られていることは気がつかなかった。そんなこと書いてあったかなあ。
     皆さん、インターネットには気をつけてください。
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2007. 1.20
     あっという間に一月も二十日を迎えた。
    先週は調子が悪く音楽学校も休んでしまったし仕事も三日間休んだ。
    こんなことは三日出勤になってから初めてのことだ。
     ちひろ美術館の「ノルシュテインの絵本づくり展」を見に行った。着いてみるととても人が少なかった。
    これはのんびりと見ることが出来るなと思った。
    ふたつある会場の一階の方から見ようと言うことになってそちらから見ていった。
    ノルテンシュテインは以前NHKでそのアニメーションを見た記憶がある。
    暗い暗い不思議な夢を見るような画面だった。奥さんのフランチェスカ・ヤールブソワが絵を描いている
    ことを初めて知った。
    彼女の描く絵はチタンホワイトという絵の具なのか普通の水彩絵の具に油でも混ぜたものなのかわか
    らないがすごく立体感があるように見える不思議な「白」だ。
    特に暗い景色の中に数匹飛んでいたチョウチョウがすごく立体的だったのには驚いた。
    DVDも二枚ほど出ているとのことなので手に入れるつもりでいる。
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2007. 1. 1
     新年である。元旦だ。昨日の大晦日は早く床に就いた。
    眠くていつものように遅くまで起きていることが出来なかった。
    福音館の荒木田さんからいただいたスイスのワインでお屠蘇を祝った。
    夫婦ふたりの正月というのは初めてなのではないかな。やってきた年賀状を見る。ありがたいことだ。
    こちらから出さないのにこんなにも賀状がやってきた。
    「こちらはかなり厳しい毎日になってきました」と水野君が記しているが大丈夫なんだろうか。
    一度会いたいものだ。俺は九日まで休みなのでその間に冊子版「青レンズ」三七号を出したいと思っている。
    あらかた原稿は出来ているのであとちょっと足せばなんとかなりそうだ。
    ピアノの練習がんばらないといけない。
    十五日が授業の最初の日なのでまだ時間はありそうに見えるがそうは甘く見ていてはいけない。
    毎日少しずつでも進まないと間に合わないことは目に見えている。
    JCOMのケーブルテレビに加入しているので映画をバンバン録画してはDVD化している。
    それが四五〇枚を超えた。ほとんど一枚にふたつ映画が入っているのですごい本数と言うことになる。
    いつ見るのかって?老後の楽しみだ、なんて簡単に言っているがさてどうなるやらわからないな。

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2006.12.31
 ついに大晦日を迎えた。
 貞夫さんの「パストラル」のレコードからCD化したディスクをアキュフェーズのCDプレイヤーで
 聴こうとセットすると0を示したまま時間も曲数も表示されないので仕方なしに
 デスクトップ・パソコンで聴いている。
 先日、百合ヶ丘の亡くなった幸子おばさんの所から荷物を引っ越ししたが、この部屋のエアコンを
 代えようと業者を呼んで設置し直してもらった。
 ヴェランダに置いてある室外機を業者の男が見てギョッとした。余りに古いものだったからなのだ。
 ひとりではとても車まで持って行けないと携帯で仲間に電話をしていた。この部屋にあったエアコンはよく冷えた、
 冷え過ぎるほど冷えた代物だったがここへ越してきた当初からこの部屋にあったものだったのでそれを
 遠慮なく使っていたのだ。それから二十年は経つからそれ以上前から使われていたものだと言うことになる。
 おばさんの所からのエアコンを設置するときに書棚の上のこまごましたものを下ろしてスッキリさせておいた
 お陰で作業は早くすんだ。早く夏が来ないかなと思った。
 そこに置いてあったものはボール箱が多かったがその中に新聞の切り抜きやらが入っている函があり
 開けてみると一九七〇年代のものばかりなのだった。
 ソルジェニーツインが亡命したとかスペースシャトルがジャンボ機の上に載せられて試験飛行をしたとか、
 里緒が生まれた日の新聞などもあった。それは三四年前の新聞と言うことになる。
 その中を一枚一枚見ながらいらないものといるものと分けてドンドン捨てていった。
 それでも「スイング・ジャーナル」のジャズの記事や写真、ビートルズの肖像画、島尾敏雄の新聞連載コラムなどは
 またはこの中に戻された。なんでこんなものが取ってあるのだろうという記事なんかもあった。
 新聞のスクラップは早いうちにドンドン貼り付けていかないとこういうことになるので
 最近はドンドン貼り付けてしまうことにしている。

 さて来年もここで書かせてもらえるのならなんとか週一回は書いていきたいものだと思う。
 マスターの吉山正之氏にこの場を借りてお礼と希望を述べて今年の締めくくりとしたい。
 ありがとうございました。
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2006.12.27
     一昨日音楽学校の授業が終わった。この日、理論のテストがあったが自信がない結果で終わった。
    きっと及第点は取れなかったろうなあ。
    新年は十五日から始まるからそれまでたっぷりピアノの練習をしようと意気込んでいるがさてどうなるやら。
     
     矢崎のブログが休んだままだ。どうしてしまったのだろう。
    今月のいつだったかはっきりした日にちは知らないのだが他言無用プロジェクトの公演がいつものように
    国会議事堂近くの社会教育会館(?)であった。
    いつものように石井某が高貴なご婦人を演じ松崎菊也が高貴なる旦那役といった格好で舞台に出てくると
    俺も二度見に行ったから知っているが会場は爆笑の嵐に見舞われた。
    それを「週刊新潮」が爆笑など皆無で会場がシーンとなった、とかあることないこと書いた記事を載せ、
    それを読んだ右翼の連中が騒ぎなんと石井某は謝ってしまったのだった。
    右翼に対しては矢崎は覚悟ができている人で以前編集発行していた「話の特集」の頃、若い右翼の男が一人
    のりこんで来てなんと抜刀し矢崎を脅しつけたが矢崎ひるまず天皇の名を初めからスラスラ言ってのけると
    刀は萎れ男はすごすごと帰っていったという。
    それがなんと他言無用の連中は謝ってしまったと言うからおかしい。ただのパロディーなのに。
    あれくらいのことをやるのだからある程度覚悟は出来ているはずなのに脅かされて彼らは頭を下げてしまったのだ。
    なんという情けなさ。
    学校ごっこの卒業式にも彼らは来て高貴な夫婦を演じてくれ笑いが止まらないほど演じてくれるのだが
    最後の卒業式俺は行く気がしなくなってしまったよ。
    その「週刊新潮」のでたらめ記事のあと矢崎のブログは静かなのである。
    年末の自分がプロデュースする公演の広告だけ載せてあとはいつものようではないのだ。
    どうしてしまったんだろうと心配している。
    あと一回授業があるがそのことを訊いてみようかどうしようか。   
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2006.12.16
     仕事も来週二二日で終わりになる。記念会は年末年始の休みをたっぷりと取る。
    新年は九日から仕事となる。以前なら単に喜んでいたのだけれど今年はちょっと趣が異なる。
    何故と言って俺はバイトの身であるからだ。
    週三日の出勤だから一週間分出勤がないわけだから非常に困る。
    給金がひどく少ないことになる。
    それでものほほんとしていられるのは暦のお陰だ。彼女のやりくりでなんとか暮らしているのだ。

     中村俊雄さんがインドから帰ってきた。その日に電話をもらったきりでまだ直接会って話は聞いていない。
    早く聞きたいものだと思っている。
    大体四〇日ほど行っていたらしいがインドにはガックリ来た、と言っていた。
    その代わりバンコクは好かったですよと言っていた。インドはだいぶ様変わりしてしまったらしい。
    詳細は冊子版「青レンズ」に原稿を書いてもらうつもりでいるからそちらを楽しみにしようと思う。

     今週は結局出勤した三日間とも本の虫干しが出来なかった。雨が降ったのが原因だ。
    降った翌日は駄目なので出来なかった。
    そういうことになると図書室にひとり籠もって別の仕事を続けることになる。
    保存する大事な雑誌のカード作りから始まって原簿にそれを写したり中性紙で包んであげたり、
    と結構仕事が立て込んだ。来週はどうかな。二日間くらいは出来るかな。
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2006.12.11
              師走も半ば近い。あっという間に今年も終わってしまうのだろう。
    毎週月曜日の晩はメーザーハウスという音楽学校へ通っているが、年のせいか覚えが悪くて散々の
    ていたらくがつづいている。先生もよく我慢して教えてくれるのがありがたいがこれでもすごくそのことが
    気になって反省もしている。練習時間はたっぷりあり、仕事が週三日間と言うこともあって、
    軽くこなせそうなものだがやはり満足のいく出来上がりにならずに授業のある日が来てしまう。
    以前は月曜日になると朝から胸がドキドキして落ち着かず、欠席しようかななんて思っていたものだが
    このところようやく自分を取り戻しなんとか通学できるようになった。
    先生の前でも余りメロメロにならずにすむようになった。ピアノの実技授業は三〇分だ。
    短いなあと最初は思ったがいざピアノの前に腰を掛けてみるとそうではないということに気がつく。
    それからの時間が長く感じるのだ。メロメロだから。まあそんなにひどくならなくなったのが先週のことだ。
    ピアノのあとは一時間の間があったあと七時半から九時近くまで理論の授業となる。
    これは先生の性格のいいこともあって楽しい授業なのがありがたい。
    いつもの俺だとその時間はとっくに就寝している。
    グッスリ眠っている時刻なのだが学校のあるこの日はそうはいかない。がんばって起きているのだ。
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2006.11.27
     週三日仕事をしていてあと四日は休んでいるわけだが年の所為か曜日を混乱して
    今日が土曜日だったか日曜日だったか月曜日だったかわからなくなることが多い。
    それに音楽学校へ行く月曜日というものがすぐにやってくることにも参る。
    早過ぎる。練習が追いつかない。
    これでジャズなんて弾けるようになるんだろうかと心配になる、不安になる。

     昨日日曜日、ちひろ美術館の茂田井武の没後五十年展が終わった。
    最終日なので午後から出かけてみた。まあまあの人だった。
    数時間か過ごして帰宅すると電話が入って中学時代の同級の女友達からだった。
    今どこにいるのと言うので家にいると言うと美術館行ってきたところなのよと言うのだ。
    丁度一時間前にそこを出たところなんだよと言うとなんだあと残念そうだった。
    二ヶ月があっという間に過ぎてしまった。
    あとは二年後の安曇野のちひろ美術館で開催される生誕百年記念展まで原画を
    見られないことになるが楽しみだ。
    安曇野の美術館がものすごく居心地がいい。
    一日いても飽きが来ないのは館内が広いせいだろう。
    庭も広いから見るのに疲れたらそこへ出てひっくり返って頭上に大きく広がる
    空を見るのもいいし、寝るのにもってこいの長椅子もあるのでちょいと
    昼寝なんてことも出来るのだ。是非行って欲しい美術館である。


                    
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2006.11.18
     十一月もはや半ばを過ぎた。あああと一ヶ月もすれば年の暮になり新年がやってくる。
    本当に早いものである。
    今月に入って仕事の方が俄然忙しくなり、去年同様本の虫干しが始まった。
    広い屋上は気持ちのいいところだが今回は金網で囲ってある場所の一個所で虫干しを
    することになりそれ故書籍の量も昨年よりは少ない。
    それはそれで助かるけれども七階から屋上への階段をえっちらおっちら本の詰まった
    段ボール函を上げるのは力がいるし容易ではない。
    これが三月までつづくのである。

     家にいればいたでピアノの練習と理論の勉強で休まることがないほど忙しい。
    こんなに理論の勉強に時間がかかるなんて思いもしなかった。
    固くなった六十近い頭に新しい物事を詰め込むのはなかなかに巧くゆかない。
    やはり年だなあと感じ入るこの頃である。

     毎月一度ある学校ごっこの矢崎クラスが今回は変則的に開かれるのでピアノの授業を
     受けに行く月曜日に矢崎の授業が当たってしまい残念ながら休むしかなかったのは
     返す返すも残念無念であった。物事なかなか上手くゆかないものである。
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2006.11. 5

     今年もあと二月。先日第五〇回野口英世医学賞授与式が記念会ホールで催された。
    去年までホールのミキサー室に詰めてミキシングをしていた俺だが、
    ついにバイトの身になりおおせたせいか上でなく事務所にいてくれと言うことになって
    寂しい思いを味わった。
    会は午後二時からだが始まってもなにもすることなくただロビーに置かれたモニターテレビを
    見たりして過ごした。ときたま煙草を吸いに外へ出たりして。
    会が終わって祝賀懇親会というものを二階のロビーで行なうがそれにはいつも顔を出す
    必要はないので片付けをちょっと手伝ったりした。
    上の懇親会が終わるといつもならお客さんが帰った頃に下の部屋で皆で簡単な会食が
    あるのだが今回からそういうものは止めようと言うことになって会議室の後片付けなどを
    やってお開きとなった。
    いつものようにおいしい茶巾鮨のお土産をもらいご苦労さんと皆に配られるお礼というもの
    などをいただいて俺は帰途に就いた。
    記念会も厳しくなったものだと思う。
    それだけに三日間の出勤日は一生懸命仕事に励まねばならないと思う。

     そろそろ季候も好くなってきたので「虫干し」が始まる。去年と異なるのは干す本のほとんどが
    中性紙で包まれていることだ。
    そうして干した本を見てまだ廃棄できそうな本を学芸部長が指摘することになっている。
    そうして蔵書を野口関係の本だけにしようと言うことなのだ。
    削って削ってスッキリとした蔵書にしたいということなのだ。 

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2006.10.16

     早十月も半ばを過ぎた。名古屋は相生山の徳林寺の玄黙庵に住まいする
    伊藤昭さんが大月の奈良子山中の家から徳林寺へ来て一年が経とうとしている。
    伊藤さんは画家である。ヨガ行者と自称しておられる。

     伊藤さんの知己を得てからもう三十年は経つ。娘の里緒がまだ幼い頃だったが
    われわれはその頃「櫂の会」という太田六敏さん主宰の映画録音会社で仕事をしていた。
    給料が俺だけの稼ぎでは親子三人やっていけないので暦は会社の事務所で電話番などを
    していた。暦の親父さんは茂田井武と言って疾うに亡くなっていたが童画家であった。
    「櫂の会」に来る前俺は隼町の国立劇場の音響係で仕事をしていた。
    その頃は百合ヶ丘に住んでいた。そこへ茂田井の書誌を書き茂田井の本などを
    収集していた山口卓三さんがやってきたことがある。
    そのあと「櫂の会」に仕事場を変えていたわけだがそのときに
    山口さん始め、伊藤昭さん、福音館のいまは亡き編集者岡田清さんがやってきて
    親父さんの絵を特集する旨話を持ってきた。そうして俺は伊藤さんを知ったわけだ。

     そのことが縁になって伊藤さんは茂田井家の家の離れへ住むと言うことになった。
    あの頃伊藤さんはどうやって食べていたのか、不思議である。
    まるで仙人のようであったと言っていい。
    伊藤さんの文学や美術の話、そうしてその生活を見て俺も書くことを続けたいと思った。
    その気持ちが強くなって「櫂の会」を辞めることした。
    そうして追い出すように伊藤さんの住んでいた、茂田井家の離れにわれわれ家族三人が
    住むことにしてしまった。
    伊藤さんは近くの三畳間が四部屋ある二階建てのアパートへ越してくれた。

     俺は練馬駅近くの珈琲専門店のバーテンになった。
    仕事の合間に伊藤さんの住まいへ行ってはいろいろな話を聞いた。
    伊藤さんも山口さんに劣らず茂田井の大ファンで私淑していた。
    茂田井が若い頃シベリア鉄道に乗ってパリへ出てしばらく滞在していたことがあったが
    伊藤さんもそれに倣ってシベリア鉄道からヨーロッパへ出てそこからアジアへ向かい
    インドへ行きヨガに出会い帰国したという大旅行を経験した。
    文学の話は俺の読んでいる本と同じような傾向が好きなことがわかりそんな伊藤さんの
    話を聞いていよいよ俺はなんとかものを書きたいという思いが強くなった。
    それまで何度もガリ版で冊子を出しては止め出しては止めていた俺はまた
    出したくなっていた。
    伊藤さんがインドに滞在していた折知己を得たという宮内勝典さんという作家がいて
    「南風」を読み「グリニッジの光を離れて」を読んだ頃だったのでその感想を伊藤さんに
    話をしたところ宮内さんに感想を書いて送ってあげたらどうですかと言われたのだ。
    それで俺はその頃出した「くなとんな」に「グリニッジの光を離れて」の拙い感想文を載せて
    宮内さん宛てに送ったらお礼の葉書をもらったので大変嬉しく思ったものだった。

     そうして何年伊藤さんはわれわれの近くにいたのだったか。
    程なくして山口さんの知り合いの関係でだったか、伊藤さんは大月の奈良子という
    村の空き家であった農家を借りて引っ越しをした。
    引っ越しはその頃道路の白線引きの会社で知り合ったいまはこのコラージュの
    マスターをしている吉山氏の運転で荷物を運んだ。
    あれから十年ほど月日が経ったのだろうか。奈良子で孤独ではあったろうが充実した
    生活をしていた伊藤さんが突然前立腺癌を患った。
    そうして癌は骨へと転移してしまった。
    きちんとした治療を受けるべきだという伊藤さんの友人の名古屋は相生山にある
    徳林寺の高岡秀暢和尚の勧めで徳林寺へと大月から移らざるを得なかった。

     伊藤さんの癌の経過は良くも悪くもなかったし年齢のせいもあって進行は緩慢だったが、
    今年になって貧血が起こるようになり危ない状態に至ったので名古屋の病院へ入院をし
    輸血をし点滴を受けると元気を取り戻し絵なども描くようになった。
    そうしてついこの間伊藤さんは退院をし徳林寺の玄黙庵へ戻った。

     伊藤さんが悪いというニュースを聞いてわれわれはお見舞いに行かなければと
    思うようになり、サンフランシスコにいる暦の兄貴にも連絡をした。
    泉兄貴はなんとか忙しい仕事のスケジュールをやりくりして今週息子のロブと一緒に
    帰国することになった。
    ロブは以前日本へ来た折、大月山中の伊藤さんの住まいに一週間ほどであったろうか、
    それ以上であったろうか、滞在して伊藤さんから絵を習ったりヨガを一緒にやったりと
    大変いい経験を持った。
    そのことが忘れられないのだろう、兄貴と一緒に来ることになったのだ。
    われわれ夫婦も娘とともに来週見舞いに行くことになっている。

     伊藤さんの癌がどうか緩慢な進行状態が続いて欲しいものだと強く思う。

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2006.10. 9

     この一六日からメーザーハウスという音楽学校でジャズピアノを習うことに
    なっているのだが本当に弾けるようになるのだろうかと不安でもある。
    一年ほど幼児の習う教則本で練習をしてきたが突然ジャズを習うことに
    なるのはどうかとも思うが不安なのである。
    大丈夫だよ、倶楽部に入るような気持で行けばいいんだから。
    先生はちゃんと初心者だとわかっているからそれなりの教え方をするから
    と友人の編曲を生業としている男は言うのだが。
    実技と同時に理論も習うことになっている。
    将来は作曲もしたいしクラブにも出てプロの生活も味わってみたいと気は
    大きいのであるが。さてどうなるものか。

     若い頃はドラムをやっていた。そうして習いにも行っていた。
    帝国劇場で仕事をしながらヤマハのナベサダ校長の下、富樫雅彦にドラムを
    習っていた。同級生につのだひろがいた。
    俺のシンバルレガートを聴いてシンバルがとてもいい音を出しているよ、
    とつのだが言ってくれたものだがある速度から先にスピードがどうしても
    行かないのだった。
    何故なのかわからないがどうしても速度を増すことが出来なかった。
    そこが壁だったのだろうか。そうして突然の富樫さんに襲ったアクシデントで
    富樫教室は閉じられてしまった。それを機に俺はドラムを辞めた。
    ステックと丸椅子だけが残っている。

     俺の狭いこの自室にピアノがある。ピアノがあるだけでも幸せだろう。
    中にはエレピかなにかしか持っていない生徒もいるに違いない。
    本物を持っているのだから練習さえすればいいところまで行くに違いない。
    なんとしてでもドラムのようにはなりたくない。がんばらなくてはならない。

 

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2006.10. 2

     東京のちひろ美術館でこの九月末から一一月末までの
    およそ二ヶ月間、「茂田井武没後五〇年記念展」が開かれ
    ている。茂田井は妻の暦の親父さんだ。
    副題に「おとうさんのえ」とあるが茂田井が子供達三人に
    描いた絵を中心に展覧されている。
    是非見に行かれることをお勧めする。

         前回のこれはつづきになるが東中野のギャラリーで
    フジクラたちの作品を見たあと近くに喫茶店はないかと
    言うと是非行ってみるといいと教えてくれた喫茶店が
    近くにあるというのでフジクラと出かけてみた。
    早稲田通りを渡って中野方面へ歩いて行った路地の
    すぐのところにそれはあった。
    緑多いそこにコンクリート造りの店「カフェ傳」とあった。
    全館禁煙とまず記された紙が貼ってある。
    嫌みだなあと喫煙者の俺は思う。
    店内に入って窓側の席に着く。
    俺はアイス珈琲だったか。
    きれいに拭かれたガラスの向こうすぐにツタが生い茂り
    葡萄棚になっている。
    小粒だが薄緑のブドウの実がたわわに成っていた。
    庭に眼をやると池が見える。
    その向こうはマンションの通路になっている。
    このマンションの造りは「傳」と同じようなコンクリートの
    感じだった。
    出るのを待っている客がいるというマンションだそうで
    なかなか閑静で気持ちが好いがどこか昔見た
    映画「メルホランド・ドライヴ」を彷彿とさせた。
    飲み終わってギャラリーに戻ろうと思いながら庭を
    散策してみた。ますます映画を思い出す。
    いいマンションだなあと思った。
    二階建てなのかどうかよくわからない。
    一場の夢を見たような気のする喫茶店とその庭、
    そうしてマンションだった。

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2006. 9.25

     いつもの連休なのだが、いまはこれから七時になろうという
    晩でまだ起きている。
    まだというのはいつもなら軽い夕食、モズクと豆腐四分の一ほど、
    を食べてすぐにベッドへ飛び込んで眠ってしまうからだ。
    今夜はまだ起きていたいという気持ちがあってこれを書いている。
    一昨日の昼間、友人の藤倉美穂らの作品展が東中野の
    「間・KoSumi」というギャラリーであったので見に行った。
    「間」は「ま」と読む。「KoSumi」と言う「こすみ」は昔この辺りが、
    どういう文字を書くのか訊かなかったけれど、
    こすみという町名であった由。
    いまは簡単に東中野四丁目、である。

     作品展は「ノート展」(!)というもので、七名の女性作家が
    それぞれ制作したノートの類を展示してあった。
    ノートと聞くと俺は胸が騒ぐ。ノート大好きなのさ。

     あのピーター・ビアードが使ってい
    た大判のノートがあればいいななんて
    思い、彼のことを書いた評伝を一冊フ
    ジクラに見せてあげようと持参して出
    かけた。その本にはビアードが日記帳
    として書いていた大判のノートが、様
    々なものを貼り付けてあるので超分厚
    くなったノートの写真が載っているの
    で話は早い。いままで色々探したけれ
    ど大判のノートは見つからなかった。
    昔、一九七〇年のことだが、緑色の軟
    らかい表紙のマルマン製のB5ノート
    を日記帳として使い始めている。あの
    ようなものでもいいのだ。 

     今回の「ノート展」で唯一気に入ったのは国立にあるという
    つくし文具店製の「つくしノート」だった。函入りである。
    手に取ってちょっとそれを立ててあげればスウーッと本体の
  ノートが現われる。これがひどく小気味よかった。
  そうして表紙のほぼ中央より左側辺りから青いゴム
  紐が飛び出ている。
  そうして右側の表紙の外れにそのゴム紐を通す
  凹みがあってノートを横断して裏表紙へと至っている。
  そのゴム紐を外してやればノートが開くという具合だ。
  面白いと思った。
  一〇〇シートで無地の軟らかい黄色っぽい紙だ。
  裏表紙の右下片隅に平仮名の「つ」をマークとして
  「つくし文具店」となんとなんと、エンボスの
  体裁で捺印してある。このエンボス効果というのは
  俺の憧れのひとつで
  あの「プリントごっこ」で出来ることは知ってはいたが
  やることはついになかった。
    翌日だったかフジクラに電話をしてエンボス効果を
    出せるホチキスみたいな器具はないだろうかと質問してみると、
    世界堂でエンボス用の「スタンプ台」を見たことがあるというので驚喜した。
    近々行って探してみようと思う。

 

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