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WEB青レンズ 後藤五郎 |
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| 2007. 8.11 夏だ!アストロ・ノウツだ!ビーチ・ボーイズだ! 八月に入って夏らしい暑さ厳しい日が続いている。 お盆とあって帰省ラッシュだ。海外へ避暑に出かける人も大勢いる。 随分と留守をしていたのを反省しております。久しぶりのWEB青レンズだ。 冊子版は最近39号を発行した。 アストロノウツのこの盤はB面もなかなかいいんだよ。 夏だとこの「太陽の彼方に」はよくかかったものだが覚えている人がどのくらいいるかなあ。 彼らのヒット曲と言えばこの曲だけだけれど。 ビーチ・ボーイズは「ファン・ファン・ファン」「アイ・ゲット・アラウンド」「サーフィン・U.S.A.」 などなど必ずかかっていた60年代。ビートルズと人気を二分した夏もあったほど人気があったなあ。 今は海辺へ行くとどんな曲がかかっているのだろうか。 まさかベンチャーズでもあるまいし。 想像がつかないし人混みの浜なんぞ行く気にもならない。 ![]() |
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| 2007. 5.18 「ワシントン広場の夜はふけて」を聴いてみよう ![]() 久しぶりの登場だ。冊子版「青レンズ」にかまけていたので一ヶ月以上もこちらを疎かにしてしまった。 相変わらず四月からこっち、仕事もせず無職のままである。 高校一年の頃というと陸上部へ入って幅跳びとかランニングに耽っていた。 夕刻陽がそろそろ落ちようという頃、グランドでランニングを何周かしていると校舎から 「ワシントン広場の夜はふけて」が聞こえてきた。いい曲だなあと思った。 軽音楽部のエレキ演奏だった。その頃毎日必ずこの曲が演奏されていた。 調べてみると六三年発売とある。大ヒットした曲である。 それが縁でと言うことではないがその後陸上部を辞めて俺も軽音楽部へ入った。 学園祭の時に先輩の演奏を見てドラムが格好いいと思いドラムをやることにした。 エレキ・ブームであり、その中心はヴェンチャーズであった。 「急がば廻れ」Walk Don't Runが爆発的なヒットを飛ばしていた。 このシングルを買ったのは六四年一一月一日という日付がゴム印で打たれている。 まずなんと言っても最初に練習をしたのはこのヴェンチャーズの曲であった。 「ワシントン広場の夜はふけて」ではなかった。 夕刻のランニングで耳にしたそのヴィレッジ・ストンパーズの曲ではなかった。 入部してから一度もその曲を聴いたという憶えがない。ヴェンチャーズ一辺倒なのだった。 |
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| 2007. 4. 6 ジョニー・ソマーズとドナヒューを聴いてみよう われわれの年代の者にねえ、初めて買ったレコードはなに?≠ニ訊いてみると答え は トロイ・ドナヒューの『恋のパーム・スプリングス』だったなあ≠ニ言うのがお決 まりなのだ。 まだ持ってる?≠ニ重ねて訊いてみるとほとんどの者はもうどこかへ行 っちゃったなあ というのがこれもお決まりの答えだった。 俺自身も初めて買ったレコ ード≠ヘドナヒューと答えていたのだけれど、 今回家の中で見つかったシングル盤の中 からドナヒューを出しジャケットの裏を見ると、 ゴム印で S.39.1.23 と捺されており No,3 となっている。No,2 はジョニー・ソマーズ 「日本語盤 すてきなメモリー/ビー ・マイ・ラブ」でドナヒューと一緒の日に買っている。 定価は330円だ。で、肝心の 一番最初に買ったシングル盤はなんだろうと探しているのだけど不思議や不思議、 見つ からないのだ。おかしいなあ、間違いなくなければいけないはずなのにこのていたらく。 ![]() あの時代、きれいな日本語で歌っているソマーズを俺は尊敬する。そうしてドナヒューの方だが、 彼は映画俳優だ、そううまいとは言えない歌だ。 四枚目のシングルはこの二枚を購入した翌日の二四日に買っている。 ザ・ヴェルヴェッツの「愛しのラナ/ラフ」である。これはかなりヒットをした曲だ。 俺はこのA面もB面も、どちらも大好きで歌詞を見ながら覚えようと何度も何度もかけては歌ったものだ。 その頃、家にはステレオ装置なんてものはなく、兄貴が買ったのだろう、安っぽいレコードプレイヤーを ラジオにつないで聴いていたものだ。 それでもそのサウンドの中に頭ごと突っ込んで耳の底へと曲を流し込んでいたのだ。 それは素晴らしい体験だった。 サウンドそのものと身体が一体化していた、俺だけの時間だった。勉強なんてそっちのけだった。 ![]() |
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| 2007. 3.23 橋クンを聴いてみよう ![]() われわれ四八年生まれの子年の輩は丁度中学生のときに橋クンから始まって 舟木一夫、西郷輝彦がデビューして活躍していた時代である。 橋幸夫は「潮来笠」をひっさげて登場したが三人の中では最も歌の上手い歌手だと言われていたし 聴く方もそう思っていた。この「お嬢吉三/関の弥太っぺ」は橋クンの何枚目のシングルなのか知らないが、 「お嬢吉三」はその節回しがなかなか歌いづらいのでまたそこがいい感じの歌なのだ。 橋クンは中野の生まれで早稲田通りに面して「藤越」という呉服屋が実家だった。 そこに近いこともあって自転車で行っては道の反対側から店の中を覗いたものだが、 勿論当人がそこにいるなんてことはなくてお母さんらしい女性が店員さんらと 歓談している姿しか見ることが出来なかった。 先年、十枚組のCD全集「懐かしの青春賛歌」を手に入れたのだが、 当時ヘタッピだと思っていた西郷輝彦が実はどうしてどうして上手いんで驚いたものだが、 西郷のはこの「涙をありがとう/君はピンクのカーネーション」しか持っていない。 このシングルは日活映画の主題歌で兄貴役が田中邦衛という設定の映画を見たあとで 買ったのだろうと思う。 西郷のデビューシングルは「君だけを」なのだがこれもまたいま聴くとなかなか上手いのだ。 あの頃は三人ともテレビに出てくる度に頬がこけて痛々しいほどの忙しさだったようだ。 それと紙テープ。 会場から歌っている歌手に向かって構わずに紙テープが飛んできて顔に当たったりしたものだが、 あれはいつの間にかなくなってしまったな。 あれはロカビリー時代から始まったのだろうか。 それともそれ以前からあったものなのだろうか。 ![]() |
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| 2007. 3.12 尾藤君のデビュー盤を聴いてみよう ![]() ご存知、尾藤イサオである。この「匕首マッキー/審判のテーマ」は彼の デビュー・シングルのはずである。 試しにWebで彼の名前を入れたらなんとホームページがあるのでビックリしたが、 そこに「1963年『マックザナイフ』で東芝レコードからデビュー」とあった。 間違いはない、このレコードが彼の初シングルだ。尾藤君、一八歳である。 どうしても尾藤イサオというとわれわれは尾藤君と「くん」づけをしてしまう。 一度だけ上河邉らバンド仲間と池袋の「ドラム」というジャズ喫茶へ 「ジャッキー・吉川とブルーコメッツ」を聴きに行ったときに尾藤君がブルコメをバックに歌っていたので、 われわれは尾藤イサオを呼ぶときに親しく尾藤君と言っていたのだ。 彼の最大のヒット曲はアニマルズがヒットさせた「悲しき願い」である。 いまでもテレビで「懐かしのグループ・サウンド」などと言う番組で尾藤君が出てくると 当たり前にこの曲を彼は歌うのだ。 実はこのシングル盤は俺が買って手に入れたものではない。 板橋は滝野川にあった「らら」という喫茶店を経営していた赤崎紘子さんが、 俺はこの店で仕事をさせてもらって助かっていた、ついに閉店と言うときに紘子さんからジュークボックスの 中のシングル盤全部をごっそり頂いたときに、その中に入っていたものを自分のものにしたという経緯がある。 その他にも随分の数があったがそれらは上河邉の許へと行った。 このシングルの写真を見るといかにもあの頃のロカビリー歌手という感じである。 日劇で大盛況であったロカビリー・フェスティバルにもブルコメをバックにして出演したはずである。 随分前から俳優としても活躍している尾藤君だが、これからもテレビの音楽番組に出た折は 是非見て聴いて欲しいと思う。歌うのは「悲しき願い」であろうとも。 |
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| 2007. 3. 3 「ハプニングス・フォー」を聴いてみよう 高校は卒業していない。一八歳の誕生日を迎えたときは本来なら学校の夏休みだったが 俺は学芸大学駅から歩いて数分の所にあったドライブ・インでバーテンダーの修業に就いていた。 遅番だったから終業すると駅まで急ぎ渋谷でちょうど零時頃になる。 昼間はスパイダーズのかまやつひろしの親父のティーブが校長のジャズ学校でドラムを学んでいた。 高校は一学期の終わり頃退学した。一年もドラムを学べばプロになれると本気で考えていた。 本多俊夫にちょっと似た感じのチーフ・バーテンダーが俺を可愛がってくれた。 なんでも教えてあげるからな、と。だから一生懸命仕事を早く覚えようとがんばったものだ。 ドラムの練習も懸命にやっていた。 深夜遅く帰宅する俺を怪しんだNHKに勤めていた兄貴が何をやってるんだと言って 若い者を探しているところがあるからそこへ行ってみるかとある日言われた。 それが帝国劇場で働く道だった。 NHKの効果団と言うところで仕事をしていた兄貴の先輩に当たる三人の人たちが 帝劇のミキサー室で仕事をすることになり、若く頭の柔らかい者を探していたのだ。 開場を挟んで半年ほどは忙しくて休みも取れなかったがそこは若さ一杯の年頃だったからなんともなかった。 毎日が楽しくてならなかった。劇場の仕事にも慣れ客を案内する案内嬢たちとも親しくなった。 あれはいつの頃だろう、よく覚えてはいないのだが夜の部しかない日のことだったと思うが案内嬢から 「ゴッちゃん、ゴッちゃん」と呼ばれて階下の、ミキサー室は五階にあった、劇場のロビーへ行ってみたら 三、四人のいつもの連中が床に直に座ってポータブルのレコードプレイヤーで何か音楽を聴いていた。 それが「ハプニングス・フォー」の一枚目のシングル盤「あなたが欲しい/何故?」だった。 そのテクニックにまずはビックリした。その頃の日本のグループ・サウンドのバンドの中で ピカ一ではないかと思った。 ![]() そのジャケットはご覧の通り思わずギョッとしたものすごいものでこれは横尾忠則のデザインなのだ。 解説はいまは亡き福田一郎だ。 大阪で活動していたらしいこのバンドのメンバーを見ると交番に貼ってあってもおかしくないような 面構えの男たちばかりなのが面白い。 裏ジャケットの四人を見るとなんだ?これは学ランじゃないのかなあと思うし。 だが針を落としてみるとすごいサウンドで聴く者を圧倒する。 ![]() 彼らのシングル盤の第二弾は「君の瞳をみつめて/あなたの側で」、 第三弾が「アリゲーター・ブーガルー/すてきなブーガルー」だ。これまた素晴らしいサウンドで 「君の瞳をみつめて」などは特にすごい。 ベースの音を大きく響かせてそれに乗ってヴォーカルが歌っていると言っていい感じの出来上がり。 この三枚の入れたLPはついに発売されなかった。 最近、彼らのCDを手に入れたがこれらの曲は入っているもののサウンドが全く違ってがっかりした。 残念である。 |
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| 2007. 2.18 友人に編曲家、上河邉修(かみこうべ・おさむ)という男がいる。 現在は作曲家でピアニストの加古隆の音楽の編曲を彼はやっている。 上河邉は最初渡辺貞夫がアメリカより帰国しヤマハが協力して音楽学校を作り、 その校長にナベサダがなったがその授業を上河邉は受けた。ホヤホヤのアメリカのジャズ理論である。 と同時にもともとベースを弾く彼は原田政長にベースを習った。 そうして貞夫さんの授業が終了すると今度は原田が亡くなったため、荒川康夫にベースを習った。 貞夫さんの理論のあとはピアニストで作曲家であった菅野光亮の弟子になり松竹映画「砂の器」で 菅野さんの曲の編曲を彼はやった。 そのあと菅野さんが亡くなり、酒の飲み過ぎだ、上河邉は加古隆の編曲をやるようになったというわけである。 メーザーへ入学して勉強すべきだと言ったのはこの上河邉であった。 理論はわからないことだらけで困ったが、上河邉が懇切丁寧にその補助をしてくれているので助かっている。 電話で質問したり、学校へ行く前の時間に彼に直接会って教えてもらったり、先日は彼の住む部屋へ押しかけて 色々教えてもらった。ありがたい友人である。 そんなありがたい環境にありながらなかなか理論が頭に入らない。 年の所為と言えば言えるがまだまだ努力が足りないのは確かだ。 ピアノの方はまだまだ熱心に練習に取り組んでいないというのが実情だ。どうしてもサボってしまう。 そうして授業に出てもまだ上がり気味でメロメロのまま三〇分が経ってしまう。 歳を考えろと女房は言う。その通りなのだが、その通りの気持ちになかなかなれないでいる。 |
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| 2007. 2.12 二月もはや半ばとなりときの速さに驚くが年を経るに従ってそのスピードは増すばかりだ。 名古屋の病院へ入院していた伊藤昭さんがこの九日亡くなった。 享年七十一。年男だった。この訃報を知ってからと言うもの、何も手に着かないで困っている。 昭さんとはもう三十年以上の付き合いでわれわれのうちで最も長生きをする人とばかり思っていた。 それが前立腺癌から骨に転移して亡くなった。自らを画家でありヨガ行者と称しておられた。 ヨガをあんなに一生懸命やっておられたのにわからないものだ。 こちらは酒は飲まないものの煙草は吸うし、運動らしい運動もしていない。 腹の出っ張りは増すばかりだ。 先日健康診断を受診したが、その折り肩に近い辺りに「脂肪腫がありますね、 皮膚科へ行って切ってもらうんですな」と医者に言われた。何故そんなものが出来るんだろう。わからない。 今月から仕事の量が減った。週二日出勤と言うことになってしまった。 首が近いのだろうか。そんなわけで実入りも少なくなった。 その代わり音楽の学習の時間が増えたので自分ひとり喜んでいる。 伊藤さん、色々ありがとうございました。どうぞ安らかに眠ってください。合掌。 |
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| 2007. 1.27 本当に暖冬だ。今までになかったほどの天候がつづいている。 東京は二月が年に一番寒い月だがどうなるのだろう。 先月まで請求書の中にリアル・エンタテイメントとか言うところが一四〇〇円ほど引き落としをしていた。 毎月そうだったが暦に指摘されてなんだろうと思っていたがもしかしたらリアル・プレイヤーの 会社だろうかと思ってパソコンのプログラムを見てみると果たしてリアルプレイヤーが インストールされていた。 全く使っていないのだし買った覚えもないなあと思っていた。 幸い請求書に電話番号が記されていたので電話をしたがなかなか繋がらない。 何度電話をしても呼び出すだけだった。それでまたにしようと思って止めにした。 午後になって暦が電話が繋がったというので電話を替わった。若い男が出てきたので事情を話すと すぐ解約できることがわかったので助かった。 あとでマイドキュメントの中に「リアルプレイヤー申し込み記録」というものがあるのがわかった。 開けてみると昨年の五月に申し込みをして買っていることが記されてある。 なんということもない、自分で忘れていただけのことだった。 でも毎月使用料(?)を取られていることは気がつかなかった。そんなこと書いてあったかなあ。 皆さん、インターネットには気をつけてください。 |
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| 2007. 1.20 あっという間に一月も二十日を迎えた。 先週は調子が悪く音楽学校も休んでしまったし仕事も三日間休んだ。 こんなことは三日出勤になってから初めてのことだ。 ちひろ美術館の「ノルシュテインの絵本づくり展」を見に行った。着いてみるととても人が少なかった。 これはのんびりと見ることが出来るなと思った。 ふたつある会場の一階の方から見ようと言うことになってそちらから見ていった。 ノルテンシュテインは以前NHKでそのアニメーションを見た記憶がある。 暗い暗い不思議な夢を見るような画面だった。奥さんのフランチェスカ・ヤールブソワが絵を描いている ことを初めて知った。 彼女の描く絵はチタンホワイトという絵の具なのか普通の水彩絵の具に油でも混ぜたものなのかわか らないがすごく立体感があるように見える不思議な「白」だ。 特に暗い景色の中に数匹飛んでいたチョウチョウがすごく立体的だったのには驚いた。 DVDも二枚ほど出ているとのことなので手に入れるつもりでいる。 |
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| 2007. 1. 1 新年である。元旦だ。昨日の大晦日は早く床に就いた。 眠くていつものように遅くまで起きていることが出来なかった。 福音館の荒木田さんからいただいたスイスのワインでお屠蘇を祝った。 夫婦ふたりの正月というのは初めてなのではないかな。やってきた年賀状を見る。ありがたいことだ。 こちらから出さないのにこんなにも賀状がやってきた。 「こちらはかなり厳しい毎日になってきました」と水野君が記しているが大丈夫なんだろうか。 一度会いたいものだ。俺は九日まで休みなのでその間に冊子版「青レンズ」三七号を出したいと思っている。 あらかた原稿は出来ているのであとちょっと足せばなんとかなりそうだ。 ピアノの練習がんばらないといけない。 十五日が授業の最初の日なのでまだ時間はありそうに見えるがそうは甘く見ていてはいけない。 毎日少しずつでも進まないと間に合わないことは目に見えている。 JCOMのケーブルテレビに加入しているので映画をバンバン録画してはDVD化している。 それが四五〇枚を超えた。ほとんど一枚にふたつ映画が入っているのですごい本数と言うことになる。 いつ見るのかって?老後の楽しみだ、なんて簡単に言っているがさてどうなるやらわからないな。 |
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| 2006.12.31 ついに大晦日を迎えた。 貞夫さんの「パストラル」のレコードからCD化したディスクをアキュフェーズのCDプレイヤーで 聴こうとセットすると0を示したまま時間も曲数も表示されないので仕方なしに デスクトップ・パソコンで聴いている。 先日、百合ヶ丘の亡くなった幸子おばさんの所から荷物を引っ越ししたが、この部屋のエアコンを 代えようと業者を呼んで設置し直してもらった。 ヴェランダに置いてある室外機を業者の男が見てギョッとした。余りに古いものだったからなのだ。 ひとりではとても車まで持って行けないと携帯で仲間に電話をしていた。この部屋にあったエアコンはよく冷えた、 冷え過ぎるほど冷えた代物だったがここへ越してきた当初からこの部屋にあったものだったのでそれを 遠慮なく使っていたのだ。それから二十年は経つからそれ以上前から使われていたものだと言うことになる。 おばさんの所からのエアコンを設置するときに書棚の上のこまごましたものを下ろしてスッキリさせておいた お陰で作業は早くすんだ。早く夏が来ないかなと思った。 そこに置いてあったものはボール箱が多かったがその中に新聞の切り抜きやらが入っている函があり 開けてみると一九七〇年代のものばかりなのだった。 ソルジェニーツインが亡命したとかスペースシャトルがジャンボ機の上に載せられて試験飛行をしたとか、 里緒が生まれた日の新聞などもあった。それは三四年前の新聞と言うことになる。 その中を一枚一枚見ながらいらないものといるものと分けてドンドン捨てていった。 それでも「スイング・ジャーナル」のジャズの記事や写真、ビートルズの肖像画、島尾敏雄の新聞連載コラムなどは またはこの中に戻された。なんでこんなものが取ってあるのだろうという記事なんかもあった。 新聞のスクラップは早いうちにドンドン貼り付けていかないとこういうことになるので 最近はドンドン貼り付けてしまうことにしている。 さて来年もここで書かせてもらえるのならなんとか週一回は書いていきたいものだと思う。 マスターの吉山正之氏にこの場を借りてお礼と希望を述べて今年の締めくくりとしたい。 ありがとうございました。 |
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| 2006.12.27 一昨日音楽学校の授業が終わった。この日、理論のテストがあったが自信がない結果で終わった。 きっと及第点は取れなかったろうなあ。 新年は十五日から始まるからそれまでたっぷりピアノの練習をしようと意気込んでいるがさてどうなるやら。 矢崎のブログが休んだままだ。どうしてしまったのだろう。 今月のいつだったかはっきりした日にちは知らないのだが他言無用プロジェクトの公演がいつものように 国会議事堂近くの社会教育会館(?)であった。 いつものように石井某が高貴なご婦人を演じ松崎菊也が高貴なる旦那役といった格好で舞台に出てくると 俺も二度見に行ったから知っているが会場は爆笑の嵐に見舞われた。 それを「週刊新潮」が爆笑など皆無で会場がシーンとなった、とかあることないこと書いた記事を載せ、 それを読んだ右翼の連中が騒ぎなんと石井某は謝ってしまったのだった。 右翼に対しては矢崎は覚悟ができている人で以前編集発行していた「話の特集」の頃、若い右翼の男が一人 のりこんで来てなんと抜刀し矢崎を脅しつけたが矢崎ひるまず天皇の名を初めからスラスラ言ってのけると 刀は萎れ男はすごすごと帰っていったという。 それがなんと他言無用の連中は謝ってしまったと言うからおかしい。ただのパロディーなのに。 あれくらいのことをやるのだからある程度覚悟は出来ているはずなのに脅かされて彼らは頭を下げてしまったのだ。 なんという情けなさ。 学校ごっこの卒業式にも彼らは来て高貴な夫婦を演じてくれ笑いが止まらないほど演じてくれるのだが 最後の卒業式俺は行く気がしなくなってしまったよ。 その「週刊新潮」のでたらめ記事のあと矢崎のブログは静かなのである。 年末の自分がプロデュースする公演の広告だけ載せてあとはいつものようではないのだ。 どうしてしまったんだろうと心配している。 あと一回授業があるがそのことを訊いてみようかどうしようか。 |
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| 2006.12.16 仕事も来週二二日で終わりになる。記念会は年末年始の休みをたっぷりと取る。 新年は九日から仕事となる。以前なら単に喜んでいたのだけれど今年はちょっと趣が異なる。 何故と言って俺はバイトの身であるからだ。 週三日の出勤だから一週間分出勤がないわけだから非常に困る。 給金がひどく少ないことになる。 それでものほほんとしていられるのは暦のお陰だ。彼女のやりくりでなんとか暮らしているのだ。 中村俊雄さんがインドから帰ってきた。その日に電話をもらったきりでまだ直接会って話は聞いていない。 早く聞きたいものだと思っている。 大体四〇日ほど行っていたらしいがインドにはガックリ来た、と言っていた。 その代わりバンコクは好かったですよと言っていた。インドはだいぶ様変わりしてしまったらしい。 詳細は冊子版「青レンズ」に原稿を書いてもらうつもりでいるからそちらを楽しみにしようと思う。 今週は結局出勤した三日間とも本の虫干しが出来なかった。雨が降ったのが原因だ。 降った翌日は駄目なので出来なかった。 そういうことになると図書室にひとり籠もって別の仕事を続けることになる。 保存する大事な雑誌のカード作りから始まって原簿にそれを写したり中性紙で包んであげたり、 と結構仕事が立て込んだ。来週はどうかな。二日間くらいは出来るかな。 |
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| 2006.12.11 師走も半ば近い。あっという間に今年も終わってしまうのだろう。 毎週月曜日の晩はメーザーハウスという音楽学校へ通っているが、年のせいか覚えが悪くて散々の ていたらくがつづいている。先生もよく我慢して教えてくれるのがありがたいがこれでもすごくそのことが 気になって反省もしている。練習時間はたっぷりあり、仕事が週三日間と言うこともあって、 軽くこなせそうなものだがやはり満足のいく出来上がりにならずに授業のある日が来てしまう。 以前は月曜日になると朝から胸がドキドキして落ち着かず、欠席しようかななんて思っていたものだが このところようやく自分を取り戻しなんとか通学できるようになった。 先生の前でも余りメロメロにならずにすむようになった。ピアノの実技授業は三〇分だ。 短いなあと最初は思ったがいざピアノの前に腰を掛けてみるとそうではないということに気がつく。 それからの時間が長く感じるのだ。メロメロだから。まあそんなにひどくならなくなったのが先週のことだ。 ピアノのあとは一時間の間があったあと七時半から九時近くまで理論の授業となる。 これは先生の性格のいいこともあって楽しい授業なのがありがたい。 いつもの俺だとその時間はとっくに就寝している。 グッスリ眠っている時刻なのだが学校のあるこの日はそうはいかない。がんばって起きているのだ。 |
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| 2006.11.27 週三日仕事をしていてあと四日は休んでいるわけだが年の所為か曜日を混乱して 今日が土曜日だったか日曜日だったか月曜日だったかわからなくなることが多い。 それに音楽学校へ行く月曜日というものがすぐにやってくることにも参る。 早過ぎる。練習が追いつかない。 これでジャズなんて弾けるようになるんだろうかと心配になる、不安になる。 昨日日曜日、ちひろ美術館の茂田井武の没後五十年展が終わった。 最終日なので午後から出かけてみた。まあまあの人だった。 数時間か過ごして帰宅すると電話が入って中学時代の同級の女友達からだった。 今どこにいるのと言うので家にいると言うと美術館行ってきたところなのよと言うのだ。 丁度一時間前にそこを出たところなんだよと言うとなんだあと残念そうだった。 二ヶ月があっという間に過ぎてしまった。 あとは二年後の安曇野のちひろ美術館で開催される生誕百年記念展まで原画を 見られないことになるが楽しみだ。 安曇野の美術館がものすごく居心地がいい。 一日いても飽きが来ないのは館内が広いせいだろう。 庭も広いから見るのに疲れたらそこへ出てひっくり返って頭上に大きく広がる 空を見るのもいいし、寝るのにもってこいの長椅子もあるのでちょいと 昼寝なんてことも出来るのだ。是非行って欲しい美術館である。 ![]() |
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| 2006.11.18 十一月もはや半ばを過ぎた。あああと一ヶ月もすれば年の暮になり新年がやってくる。 本当に早いものである。 今月に入って仕事の方が俄然忙しくなり、去年同様本の虫干しが始まった。 広い屋上は気持ちのいいところだが今回は金網で囲ってある場所の一個所で虫干しを することになりそれ故書籍の量も昨年よりは少ない。 それはそれで助かるけれども七階から屋上への階段をえっちらおっちら本の詰まった 段ボール函を上げるのは力がいるし容易ではない。 これが三月までつづくのである。 家にいればいたでピアノの練習と理論の勉強で休まることがないほど忙しい。 こんなに理論の勉強に時間がかかるなんて思いもしなかった。 固くなった六十近い頭に新しい物事を詰め込むのはなかなかに巧くゆかない。 やはり年だなあと感じ入るこの頃である。 毎月一度ある学校ごっこの矢崎クラスが今回は変則的に開かれるのでピアノの授業を 受けに行く月曜日に矢崎の授業が当たってしまい残念ながら休むしかなかったのは 返す返すも残念無念であった。物事なかなか上手くゆかないものである。 |
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今年もあと二月。先日第五〇回野口英世医学賞授与式が記念会ホールで催された。 そろそろ季候も好くなってきたので「虫干し」が始まる。去年と異なるのは干す本のほとんどが |
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早十月も半ばを過ぎた。名古屋は相生山の徳林寺の玄黙庵に住まいする 伊藤さんの知己を得てからもう三十年は経つ。娘の里緒がまだ幼い頃だったが そのことが縁になって伊藤さんは茂田井家の家の離れへ住むと言うことになった。 俺は練馬駅近くの珈琲専門店のバーテンになった。 そうして何年伊藤さんはわれわれの近くにいたのだったか。 伊藤さんの癌の経過は良くも悪くもなかったし年齢のせいもあって進行は緩慢だったが、 伊藤さんが悪いというニュースを聞いてわれわれはお見舞いに行かなければと 伊藤さんの癌がどうか緩慢な進行状態が続いて欲しいものだと強く思う。 |
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この一六日からメーザーハウスという音楽学校でジャズピアノを習うことに 若い頃はドラムをやっていた。そうして習いにも行っていた。 俺の狭いこの自室にピアノがある。ピアノがあるだけでも幸せだろう。
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東京のちひろ美術館でこの九月末から一一月末までの 前回のこれはつづきになるが東中野のギャラリーで |
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いつもの連休なのだが、いまはこれから七時になろうという 作品展は「ノート展」(!)というもので、七名の女性作家が あのピーター・ビアードが使ってい 今回の「ノート展」で唯一気に入ったのは国立にあるという
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